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なのり

こんばんは
という時間に書いています
書いておこ、と思ったことがあったので書いてます
わたしが物を作るときに使っている吾塚笑太という名前、
ここ知ってるのが変遷を知っているひとがほとんどなんで改めて書くのもあれですが
咲(わらう)という漢字から、その逆もいいでしょ、と言うことで
笑(さく)と読ませて笑太
元々漫研のペンネーム二代目だったものを、創作用にそれっぽくしようとダイスキ回文で沢山笑太
そしてもう少し馴染む名前にしようと思って更にダイスキ回文で吾塚笑太
で、笑太ありきで付けているのでずっと気がつかなかったのですが、なんとなくふと気がついたのですが
吾塚芥、というもう一つの名前も持つことが出来るなあと
まあそれだけなんですけど。
なんか自分に合いすぎるほど合っているような気がします。芥。
何かあったら使ってみたい名前が増えましたって話でした。
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してきな話

わたしは、死んだら死んだでそれはそれで幸せと思っているけれど、寂しがる人が1人でもいると思うと死ぬに死ねなくて、もし、本当の理解者なんてものが現れてしまったら、わたしは安心して死んでしまえそうだし、もっと言うと殺してくれと言ってしまいそうだから、これでいいんだろうと思う。それとも、本当に理解してもらえたと思ったら、それだけで安心できるのだろうか。その人が生きている限り生きていようと思うのだろうか。それでも、生活は容赦なく圧迫する。わたしの悩みはわたし自身についての悩みでしかなくて、おそらくそれは、他者によって掬われるものではなくて、わたしが蒔いた種でしかなくて、結局は、その人を信じきれず勝手に1人きりになるんだろう。ともかくも、わたしが死んだときは、「ああ、あいつは幸せになったんだなあ」と思われたい。
好きな人が死んじゃうのは悲しいし寂しいけど、もし、それがその人の望むことなら、いいよって言ってしまう。そんな気がする。

ムニャムニャ

創作用に作ったツイッターのアカウントを削除しました。
なんか急になくなっても驚くかなあと思って近日中に削除するって書いたんですけど、そもそも誰かがチェックしているようなアカウントでもないので、なくなっても気が付かれることもないような気になって消しました
やっぱあれです、こういうの向いてないですね
なんかもう少しでも拡散してもらって読む人が増えて...なんて思っていた自分をぶん殴りたいです
そんなクオリティのものを提供出来るくらいならばとっくに文学賞に応募して落選してサヨナラしてることでしょう
思い上がりもはなはだしい
基本的にバカをやってるわたし自身を面白がってくれる稀有な人に受け容れてもらっているだけであって、それだけしかないのだということを
改めて呑み込んでいる次第です
たぶんこのままそのうち「なりやまない」自体もやめる気がします
結局は1人でジタバタしてるだけですもんね
実質はそんなに変わらなかったし、おそらくこれからもあまり変わらないだろうし、優しい感想にヌカ喜びしながら、何の進歩もなく進んでいくのだろうし。
それだったら別に気が向いたら書いて近くの人に見せるくらいで、なんの挑戦もなんの敗北も得られないまま腐ったまま未練がましく引きずっていくのだろうと思います
幸い、一緒に書いてくれる友人がいるので、その友人とのコラボ(?)が終わるまでは続けます

一息ついて

こんばんは。
あんまりにも更新していないなあと思って書きはじめました。
本当はこんなことをしている余裕はないのですが、こうして気の向くままいままでも生きてきました。
とりあえず今月は、バイトに"通って"いるのでなかなかいつもよりも普通に生きられるお給料です
その代わり、学校生活の方がうまくいかなくて、やっぱりわたしは一日ひとつのことしか出来ないなあと
甘えたことを考えています。
しかし普通に生きられるといっても来年度からの学費の足しになるかというと微妙で。
二年を三年に伸ばしたことで一年あたりの額は減ったんですけどそれでもだいたい40万だからなあ
どうせ、払えないってなったら払ってくれちゃうんでしょうけど、いい加減そこから脱却したいですよね
貯金切り崩していったら、ローンも残ってるなら、普通に老後の金ないでしょって思いますもん
寄生して生きているのは、そろそろやめたいと思うのですが、そのためにはまた色々と捨てなくてはならなくて。
ままならないなあ。

わたしは昔から大人になりたくないのですが、それは子供心にその「感性」を失いたくなかったわけで、
何かに夢中になったり世界の外や中に深刻になったり、感動したり、それって子供に勝るものはないなあと思っていて、
その気持ちをずっと持っていたいと思っているのですが、ふとある日、気がついて、それが失われていることに気がついて、呆然とするんですね。そこで絶望を得たり、失望をしたりする。それを何度も繰り返しながら、こんにちまで至っている
大人になっていくこと は 失望していくこと である
子供のわたしはやはり正しかったのだと思うわけです
年齢の数だけ積み重なった失望、どんどん失っていく、まさに、「死んでいく」わけで。
肉体的な「老い」という意味でなく、まさしくわたしは確実に「死んでいっている」
と、考えたとき、やはり生きることに望みなんてないなあとぼんやり思うのです。
「死なない」ために「切り開いたり」「努力したり」するのでしょうが、それすらも出来ていない現状、
惰性で生きた屍で在り続けるのでしょうと思うとまた望みは失われて、そんな気分で、そんな気分が日常です
死にたいわけではないんです。ただ、生きていたくないなあと思うだけで。

そういえば、「山月記」の色々な感想を読む機会があって
やっぱり李徴好きじゃない人いるんですね
李徴が、自尊心を傷つけないために先回りして自分で言っているだけだとか
結局、他人の目が気になっているのだとか
李徴≒自分 になってしまっている自分としてはなかなか無邪気なダイレクトアタックでした
過剰な自己分析も、他人の視線を先回りしておくことで直接他人で傷つかないようにするためですし、
日常的な人間観察も、他者をわかることで自分がどう見られているか分析して安心したいだけですし、
そうやって自分を守って生きているんだなあということを改めて考えさせられました。
そう考えるとカッコ悪いですね、やっぱり。
これは確かに、他者を愛することは出来ないし、無償の愛なんて一生抱くことはないのでしょう
自分を映す他者を愛し、自分が映す他者を愛し、生きていくのでしょう
やっぱり、生きたいとは思わないなあ。

Bremen

お久しぶりです笑太です
ハロウィン仕様に替えたついでに書いてるんですけど特に話題もないんですよね
冊子作るようになって書く欲がそっちに持っていかれてるのもあるし全体的にやる気がない
やるべきことがないときなら書けるんだろうなとも思うんですけど
今はあれですもう卒論が全く牛歩どころの騒ぎではなくてですねやばいです
九月受験も、計画書が書けないせいで出来なかったし、夏休み何やってたんだろって感じですね
おかげでBremen無事に全形態買えましたけどね
ライブこれで当たんなかったらしょうがないなーって感じです
相変わらずええ曲作ってますけどね!お金もないし気力もないし
しかしまあ、この先、この後、どこへゆくんでしょう
どきどき半分はらはら半分
わたしを救うことばはもうどこにもないしね
別に救われたくて聴いてるわけではないからいいけどね
おっかなびっくり、見たくないような気もしつつ読んだインタビュー、それだけで
なんか聴いていようって思ったんですよね
結局、ベクトルが変わっただけで、米津さんのために作って歌ってるんだと思いましたし
次もこれから先も、期待してます

日常のあれこれを考えていたら
表現者になって死にたい
という言葉が浮んで呆れたところです
誰かに認められなければ意味がないのに認められるわけがないと思っていて
前近代な感じで言うと、絶対的不信感とでも言いますか
そのくせいつまでも希求する、ないものねだりをする
自分から働きかけもせずに、見返りを求める
ざまあねえなと思います無様が服着て歩いてるよ
生活を嫌悪するくせ、生活に依存しなければ生きていけない
ただ、ただ、ただ、空想と藝術のみに生きられたらと願えど
彼らはわたしを愛してはくれない
現実が迫れば迫るほどわたしは
空想を描こうと足搔いてしまう
彼らが愛するのは美しいものだ
できそこないに夢はない!
と呼んでみても意味なんてないのが常套
誰かに求められたい
誰かに愛されたい
いつまでも幻影に囚われるのは
生きることは鏡の中にしかないからだ
こんな肉体なら捨ててしまった方が
いっそ捨ててしまった方が
わたしがわたしである以上
そんな日は来ないのだ
わたしがわたしであることの運命
わたしがわたしであることの罪悪
わたしがわたし以外になり得ない以上
それ以上でも以下でもない
いたたまれなくなるくらいがちょうどいいのに
プロフィール

沢山笑太

Author:沢山笑太
無意識を探りたい。

確実に腐ってますのでご注意を。

自意識・文学・音楽・日常・創作

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