No,9494

臆病な自尊心。




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拘りと孤独死 :: 2014/09/21(Sun)


昨日の今日で140字以上の長文で話したいことがあったのでこんばんは
がっつり中二発症者のお話です

ずっとアイデンティティだの個性だのというものに(悪い意味の)拘りをもっていたザッツ中二として
前人未踏、前代未聞、未開の表現者たれと盲目に思っていたわけですね
一つの個性こそが、魅力であると。誰でもない自分、たったひとつの自分こそが、魅力であると。
わたしが中一で何を思ったかというと、わたしはその頃、戯言シリーズがバイブルだったから
そのころ書いているものが「戯言シリーズ」のパクリだと気づいてしまい“これはイケナイ”と思ってしまったのです
個性至上主義にとってパクリほどこの世にあってはならないものは在りません
わたしは絶望し、筆を擱きました
これが、いい例ですね
まず表現が何かを表している以上、受け手がいるものだという前提で話をします
たった一つの個性などは存在しないようなものです。そもそも表現がひとつのもので構成されているなど極めて無に近い(全て断言したいけれどそんな勇気はない)。複雑な構成成分のうちのいくつかに個性を詰めるしかないのです。それこそが、たったひとつの自分であるし、決して他の既出の成分たちと切り離すことは出来ないという訳です
さて、それでは個性がなくてもいいではないかと思わなくもないですがそんなものは完全なるただのおぱくりというやつです。中一笑太のパクリもどきに比べてもただのおぱくりです。こうなると、表現として認められるためには、個性という「新しさ」と既出の表現の「普遍性」を兼ね備える必要があるのではないかと考えられてくるわけです。「新しさ」とは“未来の普遍=これまでに表現されなかっただけで少なくとも自分以外にもう一人以上の人間も感じていること”という意味の新しさであって、その他の「新しさ」は、「普遍」の「新しい」「組み合わせ」という意味の新しさであると思われます。書いているうちに組み合わせる力というのも十分な「個性」なのでしょうと思ったのですが、ここではもっと本質的な個性の話をしたい、本質的って何だこのやろう。というか「新しさ」も要するに「普遍」のレッテルなしに見出されえないとなると「普遍」と「表現」は切っても切り離せなくなってきます。それでは個性には「新しさ」しかないのかというとそうでもない。「新しさ」の伴わない個性、「普遍」と結びつかない個性、単なる「個(孤)」の「性」というものもあります。唯一絶対の「個性」です。この在りもしないだろうものを仮定する過程がやけに数学っぽくて数学少しでもやってて良かったと今感じています。こうなるとおいおい人間は皆違うんだぜという声が自分の中から聞こえてきますが、おいおい表現と人間を括ってんじゃねえよという声も聞こえてきます。人間を個別化するものは過去と関わりです。少なくとも五体満足の人間は。過去と関わりはそれだけで広くも浅くも普遍を備えるものだと考えられます。唯一絶対の「個性」は、過去も関わりも存在しない次元に生まれるものなのではないでしょうか。さてそうなるとこの「個性」を共有する人間はおらず、同時に共感も理解も得られないものです。さてそういった「個性」が行き着く先は?まさに孤独死であります。わたしがかつて追求した至上の「個性」は、これほどまでに役に立たないものだったのです。はてさて、それでもいいという人もいるはずでしょう、役に立つのだと主張するでしょう。自家栽培、自給率100%、自己満足の最終形態とも言えましょう。はてさてその彼、彼女はそれはもうただの人間として一生を終えます。それかただの狂人として一生を終えます。わたしにそれは耐えられない時点でわたしの存在は普遍の中に骨をうずめているのであります。すると「表現」は認められるべく行われます。そしてそれが「認められる」ということは、「認める」「主体」がいる、ということで、「主体」とは「他人」であります。「誰か」によって「認められる」ことが、動機や目的や手段として必要なのです。「主体」すら「自分」ならそこでお終いおめでとうございますお幸せな人生をというやつです。羨ましい。しかし、自己顕示くんの手にかかれば認められなければ意味がない。そしてその「主体」が、大衆か、少数かの違いしかありません。メジャーとマイナー。ありふれた話です。メジャーに「認められたい」のか、マイナーに「認められたい」のか。そこのところはまだはっきりしません。なぜなら、わたしはわたしの好きなものを「認められたい」からです、そしてわたしの好きなものはどちらであれ「認められるだろう」と思っているからです。凡人で本当に良かった。自分の納得するものを作りたい、自分が認めることができるものを作りたい、そして、それを、誰か一人とでもいいから共有したい。とまで言うと嘘ですね、一万人くらいには認められたいですよそりゃ、えへへ、怠け者のたわごとです。
さて、筆を擱いたわたしは本当はどうするべきだったのでしょうか。当然、陶然、書くべきだったのです
それがどんなにパクリに満ちたものでも、好きなものを表現していたわけですから、続けるべきだったのです
必要なのは努力です、凡人に必要なのは死に物狂う努力です当たり前です
そして、「個性」のなんたるかを気付くのも遅かった
遅すぎたと言いたいところですがそれもまた怠慢
独弁を振るいすぎました。ただしいことを言おうというのではなく正直なところをつらつらと述べてみました
生産性のない話ですし、半ば読み飛ばされようと長文乱文を振りかざしてみました
課題とかしらんです、うそですこわいです

良い眠りを

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