No,9494

臆病な自尊心。




あけましておめでとうございます :: 2016/01/04(Mon)

12月の卒論提出では各方面に迷惑と心配をかけ、
自分一人では何も出来ず友人の力で卒業への可能性を閉ざさずに済んだ笑太です
おかげで今まで自覚していたことのいかに薄かったか浅かったかということがよくわかりました

今回はわたしなりに、締切を守ることが出来ない人間としての自覚を持って、
先輩にアポを取って見ていただいて進捗を気にしたり(普段は世話を焼かれないように連絡は取らないし、途中のものを見せたりもしない)
早めの行動を心がけたり(実質ほとんど後れを取ったけど、心がけなかったらもっとやばかっただろうと思う)
毎日進めるようにはしたり(もともと好きなことなのでとてもマイペースに進めた自覚はある)
やばいなと思ってからはそこそこ手を抜いて終わらせることを目指したり(やばいと思った直後はあまりに先が見えないので停滞した)
したんですけど、わたしからしたらそこそこ締切を守ることに努めたこれらが全然努めた内に入っていなかったということを後から知りました
刻一刻と時間が迫る中で、わたしは自分の論を終わらせることしか考えていなかったし
もちろん時間は気にしていたけれど、「気にしていた」だけであってほとんどアクションを起こさなかったし
側で見ていた友人の方がすごく焦っていたし、見越して提出に必要な作業をしてくれていて、それを見て「やばいな、早く終わらせなきゃな」とは思うものの、「時間に追われている」という自覚が全くなくて、とにかく自分の論に対する拘りを捨ててはいなかった
「これはやばい」と思ったのは、提出場所に飛び込んでからだったと思う
振り返って思うのは、もし、もう少し早くテーマが決まっていれば、とか
もし、もう少し夏休みのバイトを減らせていたら、とか、もし、もう少し資料集めを迅速にしていたら、とか
その自分の行動の不甲斐なさではあるのだけれど、
いやしかしもう少し考えてみると、もしこれら全てをクリアしていたとしても、わたしは締切を守れないだろうことがぼんやりとわかってくるわけで、
時間があればあるほど展開してしまうし幅を広げてしまうしどこまでも深みに嵌ってしまうわけで
おそらくまた、甘い見込みで風呂敷広げてあっぷあっぷしているのだろうなとわかってしまう
しかも、それは手加減したつもりでいるからたちが悪い
120%のところを100%にして「したつもり」になっていて
本来ならば(時間を考えれば)90、80%程度であるべきところを100%にしてしまって
結局うまくいかずに最後はよくわからない時間というものがいつの間にか立ちふさがっているものなんだ
と、考えると、ますますわたしの「時間」認識がとてもおかしなことになっていることに改めて気づかされるわけです
わたしの根底に「時間」がわたしを縛るものとして認識できないところがある
これが今回の発見と反省点でした
思えば「時間がない、時間がない」と言っていた時も「締め切りまでに終わらないこと=卒業できない」ではなく「締め切りまでに終わらないこと=ちゃんとしたものを書けない」ことで焦燥していました
これは自分の長所として認めるところではあるけれど、同時に本当に他人の迷惑をかけるリスクの大きい、短所なのだということがやっとなんとなくわかって、対策を講じなければと思った年末でした
未だにまだちょっとよくわかってませんたぶん
とにかく、早く始めることを前提に、こまめな目標設定と大きな妥協が必要だなあ
訓練しなければ。

ということで今年は、「自分の時間認識のせいで他人に迷惑をかけないこと」が目標です。
更新は停滞してますが、本年もどうぞよろしくお願い致します。

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今年の年賀状絵は(個人的に)中島敦に絡めて西遊記です
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