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一息ついて

こんばんは。
あんまりにも更新していないなあと思って書きはじめました。
本当はこんなことをしている余裕はないのですが、こうして気の向くままいままでも生きてきました。
とりあえず今月は、バイトに"通って"いるのでなかなかいつもよりも普通に生きられるお給料です
その代わり、学校生活の方がうまくいかなくて、やっぱりわたしは一日ひとつのことしか出来ないなあと
甘えたことを考えています。
しかし普通に生きられるといっても来年度からの学費の足しになるかというと微妙で。
二年を三年に伸ばしたことで一年あたりの額は減ったんですけどそれでもだいたい40万だからなあ
どうせ、払えないってなったら払ってくれちゃうんでしょうけど、いい加減そこから脱却したいですよね
貯金切り崩していったら、ローンも残ってるなら、普通に老後の金ないでしょって思いますもん
寄生して生きているのは、そろそろやめたいと思うのですが、そのためにはまた色々と捨てなくてはならなくて。
ままならないなあ。

わたしは昔から大人になりたくないのですが、それは子供心にその「感性」を失いたくなかったわけで、
何かに夢中になったり世界の外や中に深刻になったり、感動したり、それって子供に勝るものはないなあと思っていて、
その気持ちをずっと持っていたいと思っているのですが、ふとある日、気がついて、それが失われていることに気がついて、呆然とするんですね。そこで絶望を得たり、失望をしたりする。それを何度も繰り返しながら、こんにちまで至っている
大人になっていくこと は 失望していくこと である
子供のわたしはやはり正しかったのだと思うわけです
年齢の数だけ積み重なった失望、どんどん失っていく、まさに、「死んでいく」わけで。
肉体的な「老い」という意味でなく、まさしくわたしは確実に「死んでいっている」
と、考えたとき、やはり生きることに望みなんてないなあとぼんやり思うのです。
「死なない」ために「切り開いたり」「努力したり」するのでしょうが、それすらも出来ていない現状、
惰性で生きた屍で在り続けるのでしょうと思うとまた望みは失われて、そんな気分で、そんな気分が日常です
死にたいわけではないんです。ただ、生きていたくないなあと思うだけで。

そういえば、「山月記」の色々な感想を読む機会があって
やっぱり李徴好きじゃない人いるんですね
李徴が、自尊心を傷つけないために先回りして自分で言っているだけだとか
結局、他人の目が気になっているのだとか
李徴≒自分 になってしまっている自分としてはなかなか無邪気なダイレクトアタックでした
過剰な自己分析も、他人の視線を先回りしておくことで直接他人で傷つかないようにするためですし、
日常的な人間観察も、他者をわかることで自分がどう見られているか分析して安心したいだけですし、
そうやって自分を守って生きているんだなあということを改めて考えさせられました。
そう考えるとカッコ悪いですね、やっぱり。
これは確かに、他者を愛することは出来ないし、無償の愛なんて一生抱くことはないのでしょう
自分を映す他者を愛し、自分が映す他者を愛し、生きていくのでしょう
やっぱり、生きたいとは思わないなあ。
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